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日本の庭園

酬恩庵(一休寺)  京都府京田辺市薪里ノ内102

かつての名は妙勝寺であり、鎌倉時代、臨済宗の高僧大応国師(南浦紹明)が中国の虚 堂和尚に禅を学び、帰朝後この地に禅の道場を建てたのが始めである。その後、元弘の戦火にかかり焼失、荒廃していたものを、室町時代の康正二年(一四五 六)に名僧一休禅師が宗祖の遺風を慕って再興し、師の恩にむくいる意味で酬恩庵と命名した。

ここでは、まず本堂を見学した。堂は、永享年間(一四二九~ 四○ )、室町幕府六代将軍、足利義教の帰依により建立された。入母屋造り槽皮葺で、内部には釈迦如来、文珠菩薩、普賢菩薩を祀り、山城、大和の禅宗様建築では 最も古いとされる。禅宗様建築の典型的な構造で、詰組の組物、一扇垂木の配された反りの強い軒、粽柱、木鼻、火頭窓、桟唐戸等が見られる。内部構造には蝦 虹梁も使われていて、多彩な装飾が見られる。

次ぎに方丈庭園 を見学した。一休没後、信長の寺領没収によって衰退、荒廃していたものを加賀藩主前田利常が慶安三年(一六五○ )に再興に着手し、この時に方丈庭も築造されたという。前田利常は、東京大学にある育徳園を造営した人物でもある。方丈庭園の作者は、松花堂昭乗、佐川田 喜六、石川丈山の合作ともいわれるが、松花堂昭乗は寛永十六年(一六三九)に亡くなっているので信用を欠くところがある。
方丈南庭は白砂敷きで、伝統的な手法が用いられている。南庭の背景には虎丘庵と寿塔の慈揚塔を望むことが出来る。照り起りの槽皮葺の屋根と軒反りの強い瓦 葺きの屋根が対照的である。

東庭は、土塀との間の細長い敷地に石組がある。細長い敷地がよく生かされており、石の据え方、配置から洗練された感覚を感じる。また、この庭は、大 徳寺本坊庭と同じで十六羅漢の石組とも呼ばれているそうだ。
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北庭が主庭で、枯滝、中島、三重の塔燈籠等で構成されている。枯滝石組の構成や石の立て方が大徳寺大仙院とよく似ていると感じたが、やはり作庭の参 考にしたのであろうか。中島の立石、枯滝石組はとても力強く、小規模ながら大変な名園であると思う。
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掲載日:2010.03.22


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